【土井正己のMove the World】映画「日本で一番長い日」に見る「敗北・撤退」でのリーダーズ論

社会 レスポンス

今年は「戦後70年」。太平洋戦争が終わって、日本は廃墟の中から再び経済復興を成し遂げ、世界第2位(現在は米国、中国についで3位)の経済大国にまで発展し、現在は課題はあるものの「安定した平和な社会」と言っていい。歴史には「あの時、もし…だったら」という問いは、愚問だというのは常識だが、「戦後70年」という節目に少し愚問も考えてみたい。

この夏休みに「日本で一番長い日」を見てきた。映画を見る前に「大日本帝国最後の四か月 終戦内閣“懐刀”の証言」(河出文庫)という本を読んでいた。この本は、迫水久常という終戦時の鈴木貫太郎内閣の書記官長(首相の補佐役兼閣議の書記を務める)が書いた実録本であり、天皇陛下の発言などもお明確に記載されている。この本が事実に基づいているとするならば、映画「日本で一番長い日」は、歴史的事実を可能な限り再現しようとしたドラマだ。主な登場人物は、昭和天皇(本木雅弘)、内閣総理大臣・鈴木貫太郎(山崎努)、陸軍大臣・阿南惟幾(役所広司)、内閣書記官・迫水久常(堤真一)、陸軍少佐・畑中健二(松坂桃李)となっており、それぞれの発言も重要な部分は、史実に基づいたものだった。

◆3つの「あの時、もし…だったら」

ストーリーは、「日本が如何に戦争を終わらせたか」だが、話はそう簡単ではない。本土決戦で連合国に一撃を加えてから和平に持ち込むことを主張する陸軍大臣、即刻終戦を主張する外務大臣、議論は尽きず、決着は「御前会議」に委ねられる。それまでの慣例では、「内閣不一致」となると内閣総辞職となって、政治の空白が生まれるのが通常であったが、この内閣は「ここで決める」ということにおいては意見が一致していた。この内閣の最大の功績と言える。一つ目の「もし」は、あの時、もし内閣が総辞職していれば、終戦は大幅に先延ばしになっていたであろう。

2つ目の「もし」は、天皇陛下による「聖断」だ。日本には、まだ何百万人もの兵力が残っていた。もし、「本土決戦」となっていれば、それなりの打撃を連合軍に与えることは可能だったと考えられる。「一撃を加えて、天皇制を保持するとした条件での終戦」という陸軍の考えは、それなりに、皇室にとっても魅力的なものだったはずである。もし、昭和天皇が陸軍に賛成をする判断をしていたら、「戦後70年」の姿は大きく変わっていたことは間違いがない。

3つ目の「もし」は、「もし、阿南陸相がクーデターに賛同していたら」というのがある。軍部のクーデターは、何カ月も前から準備されていた。それに常にブレーキをかけ続け、かつ、権力も保持できたのは阿南陸相の「組織のムードに流されてはいけない」というリーダー論、そして部下から信頼を得る人間力から来るものであろう。この立場を十分理解し、サポートしたのが鈴木首相だったと言える。

◆「敗北・撤退」のリーダーズ論

こういうリーダーズがいて、日本はぎりぎりのところで戦争を終えることができた。そして、戦後の復興を成し遂げることがでいた。もちろん、「なぜこの戦争をしなければいけなかったのか」という疑問は残る。また、「もっと早く決断していれば広島・長崎の悲劇はなかったのではないか」という疑問も残る。これらのことも、もっと検証され、議論されなければならない。しかし、全国民が、その後の経済復興や国際社会復帰に向け、邁進できたことは、あのリーダー達が導いてくれた戦争の「終わり方」によるところが大きかったと思える。

ビジネスの世界においても、敗北や撤退という局面に出合うことは多い。大局を読む判断、組織を動かす実行力と人間力、リーダーに求められる能力は、「始める時」より「終わる時」の方が重い。

<土井正己 プロフィール>

グローバル・コミュニケーションを専門とする国際コンサル ティング・ファームである「クレアブ」副社長。山形大学 特任教授。2013年末まで、トヨタ自動車に31年間勤務。主に広報分野、グローバル・マーケティング(宣伝)分野で活躍。2000年から2004年まで チェコのプラハに駐在。帰国後、グローバル・コミュニケーション室長、広報部担当部長を歴任。2014年より、「クレアブ」で、官公庁や企業のコンサルタ ント業務に従事

  • 土井 正己
  • 戦後70年、8月6日に広島市の元安川でおこなわれたとうろう流し(参考画像)《写真 Getty Images》
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