後退時も4速までシフトアップ可能! 自転車みたいなハンドルで縦に2人乗り! 「メッサーシュミット」のKR175があらゆる点で衝撃的すぎた
この記事をまとめると
■ドイツの航空機メーカーであるメッサーシュミット社によってスモールカーのKR175が生み出された■キャノピードアや絞り込まれたリヤエンドなど、航空機メーカーの作品らしいスタイリングが特徴■175〜191ccの単気筒2サイクルエンジンに4速MTを組み合わせ、最高時速は105km/hを誇った
航空禁止令で飛行機を作れなかったからスモールカーを製作
第二次世界大戦後、枢軸国の飛行機メーカーが自動車づくりを始めたのは当然の帰結だったかもしれません。日本にしろ、ドイツにしろ、戦争で負けて国全体がボロッボロなわけですから、飛行機なんて余裕もない。しかも、連合国から「航空禁止令」(航空機の製造や、研究などあらゆるものがNG)も出されてしまっては、手も足も出ないわけです。 が、生産設備や技術者たちはそこでウズウズしているわけです。とにかく仕事しなきゃ食っていけないってことで、元飛行機屋さんたちは必死の思いで生き残る術を探し出したのです。 ヴィルヘルム・メッサーシュミットは、そんな風に生き残ったうちでもトップランナーと呼べるでしょう。メッサーシュミットの名は、飛行機好きはもちろん、クルマ好きのなかでも耳にした方はいらっしゃるはず。 第二次大戦中、メッサーシュミット氏は傑作機と呼ばれるBf109や、世界初のジェット戦闘機Me262などの開発に携わり、ナチ政権とも繋がりの深かった人物。それゆえ、戦後すぐは戦犯として2年間の収容生活を送ったのですが、1953年には自身のブランドからKR175というスモールカー、いわゆるバブルカーと呼ばれるタイプのクルマをリリースしたのです。 ご承知のとおり、戦後のドイツはこのバブルカーが大流行りで、BMWからはイセッタ、メッサーと同じ軍需航空機メーカーだったハインケルもまたハインケル・カビーネなるモデルを発売していました。それでも、このKRシリーズがイセッタやハインケルを抑えていまでも高値で取引されるのは、やはり戦闘機仕込みの設計概念や、そこから生じた独特なスタイルがある種の極点に達しているからにほかなりません。 たとえば、前後に2名の乗車スタイルは戦闘機のコクピットそのもの。違うのは、後席乗員が単純なパッセンジャー扱いであり、戦闘機のようにアビエーションサポートなどは一切しないところ。仮に、クルマの前面に機関銃でもついていたら、後席乗員がバンバン撃っていたのかもしれません(笑)。 また、イセッタやハインケルと違い、前後に乗員を配置することで前面投影面積をミニマムまで減らせることもメッサーらしい設計でしょう。しかも、車体は後ろに伸びるにしたがって飛行機の胴体かのように絞り込まれているのです。 もっとも、流体力学や空力によって生み出されたシェイプかというと、そういうわけでもなさそう。メッサー本人は頭がいい上にイケメンだったため、伯爵令嬢を嫁にもらい経済的な援助をしてもらった経緯があります。なにが言いたいかというと、ちっこいクルマを作ったとしても嫁さんからダメ出しされるわけにはいかなかったのではないでしょうか。ダメ出し=スポンサーシップなしよ! こうした構図はフォード一族のお嬢さんを嫁にもらったアレハンドロ・デ・トマソと一脈も二脈も通じているのではないかと。
前進も後退も最高速度は105km/h
そして、キャノピーを跳ね上げて乗り込む作法もまた飛行機チックなディテールでしょう。とにかくガバっと開くグラスキャノピーで、大の大人がふたりして乗り込むのにもなんら差支えなさそうです。後席の後ろはエンジンルームなので室内は荷物も置けないミニマムスペースではありますが、当時はKRに乗って大陸旅行に出かけるユーザーも珍しくなかったそうですから、それなりに快適だったのでしょう。グラスキャノピーは周囲の眺めもよさそうですからね。 搭載されていたのはいまではサスペンションや小型バイクで有名なザックス(現在、製品ごとに会社は分かれています)製の単気筒2サイクルエンジン。発売当初は175ccでしたが、1955年にはボアアップして191ccのKR200と車名も変わりました。最高出力は9.7馬力を発揮して、カッパみたいな顔ながら最高速105km/hまで引っ張り上げたそうです。 なるほど、これならアウトバーン走る気にもなるでしょう。4速MTが搭載されていますが、じつは前進に加え後進も4速のギヤが使えます。どういうことかというと、KRにはバックギヤが装備されておらず、後進したいときには一度エンジンを切り、リバーススイッチを用いてエンジンを逆回転させる必要があるのです。もちろん、そこでシフトアップもできるので「後進4速」という冗談みたいなスペックがもたらされたというわけ。 もうひとつKRの飛行機っぽいところが、T型操縦桿のようなステアリング。フロントの1080mmという狭いトレッドと相まって、まあまあクイックな応答性だったようで「高速コーナーは慣れが必要」というインプレッションが散見できます。 これ、メッサーのBf109も似たようなところがあって、主脚のトレッドが狭くて斜めに設定されたことで離着陸を難しくしていたそうです。どちらも設計上のポリシーあっての割り切りでしょうが、飛行機がバブルカーになっても譲れないDNAみたいな感じでじつに興味深いポイントです。 なお、KR200は1960年代に150台ほどが正式に輸入されています。現存数は定かではありませんが、シンプルな車体&エンジンだけにメンテナンスも容易でしょうからそれなりに残っているのではないかと。もっとも、お馴染みハガーティ(アメリカの保険会社)の査定によると、エクセレントコンディションでは10万ドル(およそ1500万円)を越えるようですから、国外に売り飛ばされたタマも少なくないかもしれません。 クルマ好きとしては残念なことに、メッサーシュミット氏はこのKRシリーズを4万台ほど売ったところでクルマづくりから撤退。スペインで小型ジェット機を作り、ドイツに戻って再び航空機メーカーに就くなど、死ぬまで空に魅了されていた模様。ちっこいクルマでも、そんなこと考えると重みとか、存在感マシマシになるのが不思議です。