多くの国が採用する「左ハンドル右側通行」はフォードのせい!? いつから日本は右ハンドル左側通行になったのか?
この記事をまとめると
■日本においてクルマは左側を走ることになっている■その他、左側通行を採用するのは英国の影響を受けた国や地域■日本で車両が左側を走ると定められたのは明治維新後
日本において左側通行が定められたのは明治維新後
クルマが左側を通行し、そのため右ハンドルである地域は、日本のほかに英国の影響を受けた国や地域に限られるようだ。たとえば、1997年まで英国の統治が行われた香港は、クルマが左側を走る。一方、中国でクルマは右側通行だ。 日本で車両が左側を走ると定められたのは、明治維新後のことだ。大正時代になってからという話もある。いずれにしても、江戸時代まで、日本に馬はいたが、馬車はなく、車両といえば人が引く大八車か、公家などの乗る牛車くらいだった。そして江戸時代の260年間は、徳川幕府を守るため、諸大名から攻撃を受けないように高速移動が禁じられていた。東海道など幹線道路は整備されたが、それらは馬車など車両が走れるようにはなっていなかった。 19世紀の末、ドイツでカール・ベンツによってガソリンエンジン自動車が発明されるまで、交通の動力は主に馬だった。そして欧米では、馬車が広まった。 乗馬では、左側通行が原則だ。馬を引く場合も、馬の左側に人が立ち、手綱をもって誘導する。馬への乗り降りも、馬体の左側から行う。馬と人間の関わりは4000年あるとされ、馬や馬車を使っての交通の歴史は、クルマの数十倍におよぶ。馬や馬車の時代を経て、左側通行は交通の基本といえるのではないか。それを踏襲したのが英国であったといえる。他の地域も当初は同様であったはずだ。 ガソリンエンジン自動車は、1886年にドイツのカール・ベンツがパテントモトールヴァーゲンをつくり、特許を取得したことにはじまる。このときのハンドルは左寄りにある。ベンチシートの左側に座った人が運転する。
馬の時代から続く英国の左側通行の伝統が継承
右側通行は、フランスの影響だという。ナポレオンの勢力は英国を除く欧州とロシアにまで達していた。ナポレオンは政権に着くと交通網の整備をしたとされ、右側通行することにより戦果を得たことなどから、衛星国を含めその支配地域が広かったことが、欧州での右側通行に影響しているとの説がある。それでも18~19世紀初頭の話で、歴史は浅い。 クルマが存在を示しはじめてからも、20世紀初頭は右ハンドルが多かったとされる。理由は、変速機のレバーが車体の右側にあったからではないかといわれている。当時、変速する際にギヤ比とエンジン回転の差を縮めるシンクロメッシュという機構がまだなかったため、右利きの人には右手で微妙な変速操作を行う必要があったからとされている。アウディの祖であるアウグスト・ホルヒが競争のため製作したクルマも、右ハンドルで右側通行をしていた。 その後、右側通行では左ハンドルとなった最大の要因は、米国のT型フォードが普及してからと伝えられる。T型フォードの変速は、手ではなく足で行う方式であった。このため変速レバーの位置は関係なかった。また、追い越しなどで右側通行では左ハンドルのほうが先を見通しやすい理由もあったはずだ。 T型フォードが誕生した当時、欧州はまだ1台ずつ手作業で組み立てが行われていたので、流れ作業による大量生産されたT型フォードが第一次世界大戦などを通じて欧州市場にも影響し、右側通行で左ハンドルが欧米双方で広がったといえる。しかし英国は島国であり、昨今のEU離脱を見ても大陸への対抗意識や独自性の強い国柄だ。そこで馬の時代から続く左側通行の伝統が継承されたのだろう。そして英国との関係の深かった国や地域へ波及し、右ハンドルで左側通行となったといえる。