さらば平成! 31年前の「元年」に華々しく誕生した世界に誇れる国産車5選

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世界の名だたるメーカーに影響を与えたクルマも誕生

 平成の元号が間もなく終わろうとしている。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じだった。そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを良かったほう、悪かったほうを含めて振り返ってみたいと思う。まずは平成元年編だ。

■平成元年(1989年)ってどんな年?

 1月7日の昭和天皇の崩御があったものの、時代は4万円に迫った日経平均株価を筆頭にしたバブル景気の絶頂期に達するなど、概ね明るい時代であった。自動車業界では東京モーターショーの開催地が晴海から幕張メッセに移り、モータースポーツ業界でも豪雨のF1最終戦オーストラリアGPで日本人初のF1レギュラードライバーである中嶋 悟選手がファステストラップ(レース中もっとも早いラップタイム、記録のひとつ)を記録しながら4位に入賞するという明るいニュースもあった。

1)初代トヨタ・セルシオ

 初代セルシオは「北米をメインマーケットにした世界の名立たるブランドに勝負を挑んだ高級車」として登場。初代セルシオは後発なだけにスバ抜けた静粛性を含めた快適性の高さ、各部の高いクオリティ、250km/hの最高速と低燃費の両立、コストパフォーマンスの高さといったそれまでなかったベクトルでライバル車に対抗。 目標達成のため各部品の精度などをいちから見直すなどの大プロジェクトとなったが、その甲斐あってベンツやBMW、ジャガーといったライバル社が初代セルシオに学んだり、大きな影響を受けるほどの大成功を納めた。日本車は海外のクルマに影響を受けることは多くても、その逆は少ないこともあり、初代セルシオは日本自動車史に残る1台と断言できる。

2)日産スカイライン(8代目・R32)

 スカイラインはモータースポーツでの活躍もあり、昭和50年代までは日本人の憧れるクルマの1台だった。しかし6代目モデルあたりからトヨタがマークII三兄弟などで展開したハイソカーに押されはじめ、7代目モデルの4ドア車はマークII兄弟や日産社内でマークII三兄弟の直接的なライバル車となるローレルとの違いが分かりにくい、自分を見失ったクルマになってしまった。 そんな状況下で8代目スカイラインは「スカイラインに求められるのは豪華さやワイドバリエーションではなく、やっぱり実用性とスポーツ性の両立なんだ!」という強いポリシーを持って登場。 ボディサイズを小さくし、大幅な軽量化とエンジンのパワーアップを行い、相乗効果で動力性能を一気に向上。エンジンパワーを受け止めるシャシーも強い剛性を持つボディに四輪マルチリンクというタイヤを有効に接地させるサスペンションを組み合わせ、スカイラインらしい運転する楽しさや高いコントロール性を備えた。 さらにスカイラインに薄れていた「モータースポーツでの強さ」というイメージも持たせるべく、最強モデルとして17年振りにGT-Rも復活。GT-Rは当時のグループAレース制覇に向け、レギュレーションに合わせてハードチューニングを施せば600馬力に達する2.6リッター直6ツインターボエンジンに、そのパワーを余すことなく路面に伝えながら高いコーナリング性能も両立するアテーサE-TSと呼ばれる4WDを採用。GT-Rは日本のグループAレースでの全戦全勝、数々の海外レースの制覇といったスカイラインに求められる強すぎるほどの強さを残した。 またGT-Rはそのポテンシャルの高さにより、チューニングカーのベースとしても絶大な人気を集めた。それだけに8代目スカイラインは登場から30年が経った今でも世界中にファンがいるモデルである。ただ景気の動きもあるにせよ、8代目スカイラインは室内やトランクが決して広いクルマではなかったのが原因だったのか、販売台数ではわずかにせよあれだけ不評だった7代目モデルにおよばなかったのは、ちょっと皮肉でもある。

世界的な記録を作ったライトウェイトオープンもこの年に誕生

3)2代目ホンダ・インテグラ

 2代目インテグラ自体はアメリカンテイストを持つシビックの上級モデルで、比較的お手軽に開発されたクルマである。では何にインパクトがあったのかというと、可変バルブタイミング機構(ホンダはVTEC)を普及させたことだ。 エンジンには、低回転域では実用的なトルク、高回転域はハイパワーが求められるが、可変バルブタイミング機構の登場まで両立は難しく、とくに小排気量のスポーツエンジンというと低回転域は力がなく、「回せば面白いけど、普段は運転しにくい」などと言われるのが相場だった。 そんな時代にVTECの実用化は、そういった問題を吸気と排気の両バルブの開くタイミングとリフト量を可変にすることで、低回転域は扱いやすく、高回転域ではリッター100馬力(1.6リッターなので160馬力)という昔のレーシングエンジンのような爆発的なパワーを持つユニットを実現した。 また、VTECは使い方を変えることで燃費重視のリーンバーン、バランス型、スポーツ用とエンジンの性格を自在にできる機構でもあり、現在でもホンダだけでなく、類似のものが世界中の自動車メーカーで進化を続けている。

4)初代マツダ・ロードスター

 初代ロードスターは「1970年まで流行ったけど、厳しくなる一方の排ガス規制や衝突安全性といった法規をクリアできなかったため、絶滅してしまったライトウエイトオープンカーを最新の技術で復活させたい」というコンセプトで生まれたモデルである。 コンセプト自体は比較的単純明快だが、ロードスターの市販化においては「こんなクルマが売れるのか?」という社内の反対によりなかなか正式プロジェクトにならず、初期段階では川沿いの物置を綺麗にして開発が進められた(そのため物置はリバーサイドと呼ばれていた)というほどの扱いや、FRで四輪ダブルウイッシュボーンサスペンションの挙句、軽量化のためアルミパーツを使うという生産コストの高いクルマを「ちょっと勇気を出して買えば誰もが幸せになれるよう、200万円程度の安価な価格で作らなければならない」など、苦難の連続であった。 その苦難を経て産まれた初代ロードスターは「とくに速くもない、当然実用的でもない、うるさい」など悪いところ探せばキリがないクルマであった。しかしその代わりに、運転すること自体、クルマを触る、オープンで走る、ロードスターを通じた仲間との付き合いなど、さまざまな楽しみ方ができるクルマなのをおもな理由に、世界中で爆発的なヒット車となった。 ロードスターの成功は世界中の自動車メーカーに大きな影響を与え、フォロワーも多数登場した。だが今フォロワーたちを見ると存続しているクルマは意外に少なく、あの手この手を使いながら4世代に渡って、「初代の楽しさは残し続ける」という強固なポリシーを持って存続しているマツダは偉大である。

5)初代スバル・レガシィ

 レガシィは昭和末期にクルマの古さをおもな原因に窮地に陥っていたスバルが、起死回生を掛けて開発したモデルである。セダンとステーションワゴンを持つミドルクラスに属する比較的オーソドックスなクルマながら、機能面は水平対向エンジン、今でいうプラットホームまで新設計となるスバルの背水の陣を感じさせるクルマだった。 時代背景もあり、4WDにターボエンジンを搭載するグレードが注目され、セダンでは最強グレードのRS系が当時の10万km走破の速度記録の樹立やラリーなどのモータースポーツでも活躍。とくにステーションワゴンのGTは、レガシィの登場までなぜか日本ではなかなか受け入れられなかったステーションワゴン市場において、カッコよさ、新鮮さ、使い勝手の良さ、スポーツ性などを理由にイメージリーダーとなり、日本におけるステーションワゴンブームの火付け役となった。初代レガシィは全体的に見ても大成功を納め、苦しかったスバルにとっては狙い通りの救世主となった。

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