日本は「スーパーカー不毛の地」じゃなかった! F1エンジン搭載車もある圧巻の歴史

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この記事をまとめると

■ホンダNSXの生産終了により、日本メーカーのスーパーカーが市場から姿を消す■過去には、量産こそされなかったものの、数多くのスーパーカーが開発された■童夢、日産、トヨタはスーパーカー製作のノウハウを活かし、ル・マンでも結果を残した

クルマ好きを虜にしたジャパニーズスーパーカー

 ホンダNSXの生産終了が決まったことで、日本のメーカーのスーパーカーはひとまず市場から姿を消すことになった。現行NSXが登場する前に限定生産されたレクサスLFAも復活の噂は聞こえず、日産GT-Rは性能はともかくカタチがスーパーカーとは言えない。 しかしこれをもって日本がスーパーカー不毛の地だというのは、ちょっと違う。量産こそしなかったものの、それに向けて開発されたクルマがいくつもあるからだ。スーパーカーブームを知る人にとってはやはりまず、1978年のジュネーヴモーターショーで突然公開された童夢 零を思い出すだろう。 ホンダS600/S800ベースのレーシングカー、マクランサなどを製作した林みのる氏が中心となって開発したもので、全高わずか980mmという恐ろしく低いウェッジシェイプを持ち、ドアはランボルギーニ・カウンタックのように前支点で上に跳ね上がった。 エンジンは当時のフェアレディZに積まれた2.8リッター直列6気筒で、デザインに比べるとおとなしかったが、我が国でナンバーをつけて公道を走ることを念頭に置いた選択でもあった。 ところが日本の保安基準をパスすることができず、母国での販売は断念。童夢はアメリカでの市場化を考え、現地の法規に沿った改良型P-2を発表したものの、やはり市販はされなかった。 童夢は並行して、零をベースにル・マン用レーシングカーも製作。こちらは1980年に日本車初の完走を果たしている。

バブル景気の勢いそのままに日本製スーパーカーが開発された

 その後バブル景気が押し寄せると、ホンダに続いていくつかのメーカーがF1参戦を目論み、エンジンを開発する。するとそのエンジンを積んだスーパーカーが現れた。ジオット・キャスピタとヤマハOX99-11だ。 ジオットは衣料品メーカーのワコールが立ち上げたプロジェクトで、童夢が開発を進めた。エンジンは富士重工(スバル)がイタリアのモトーリ・モデルニと共同開発した3.5リッター水平対向12気筒だった。 ヤマハ発動機は自身が開発して実戦に投入していた3.5リッターV12の形式名OX99を搭載。デザインは由良拓也氏率いるムーンクラフトが担当した。モーターサイクルを思わせる前後2人乗りとしていたことも特徴だ。 しかし日伊合作のフラット12はF1では予備予選すら通ることがなくまもなく開発中止となり、実績のあるイギリスのジャッド製V10に積み替えたが、そのうちにバブルが弾けてプロジェクトが終了した。ヤマハもバブル崩壊の影響を受け、市販化はならなかった。 1990年中盤になると、今度はル・マンを舞台に新たな動きが起こる。プロトタイプのレギュレーションを厳しくする代わりに、1台だけ作ればOKというGTカテゴリーが新設され、このルールを使い作られたポルシェ962Cベースのダウアーが1994年に優勝したことから、いくつかのメーカーが同様のクルマで挑戦したのだ。 日産R390とトヨタGT One TS020も、こうしたルールに沿って生まれたもので、3.5/3.8リッターV8ツインターボエンジンを始め、中身は限りなくプロトタイプだったが、それぞれ1台ずつロードカーが作られた。 R390は1998年総合3位、TS020は翌年GT1カテゴリーが消滅した中で2位を記録している。 童夢に続いてル・マンで結果を残したわけで、日本のスーパーカーづくりの実力はそんなに低いわけじゃないことがわかる。

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