カタログはすり切れるまで読む! 街ゆくスーパーカーに群がる小学生! 熱狂度がハンパなかった昭和のクルマ好きの生態
この記事をまとめると
■いまはさまざまなクルマ好きのジャンルが存在する■しかし昔のクルマ好きは比較的、同じ方向を向いていた■その理由と当時の様子について解説する
ディーラーにカタログをもらいに行く小学生も!
昔はクルマ好きが多かった、というのはよく聞く言葉だ。もちろんそれは正しいし、異論もない。今もクルマ好きというのはいるものの、その中身はちょっと違う気がする。現在はジャンルが細分化していて、チューニング、ドレスアップ、レース好き。さらには旧車や痛車など、さまざまだ。 一方、昭和はというと、ほぼ全員が同じ方向を向いていた。つまり、全員が一丸となって“ただのクルマ好き”だった。どういう感じかというと、新車が出れば自動車雑誌を貪り読み、場合によってはディーラーにカタログをもらいに行って穴が空くほど読む。当然、自動車雑誌はバカ売れしたし、ディーラーも小学生が自転車で来てもカタログをくれたいい時代だった。ちなみに1970年あたりのリアル旧車のカタログはハコスカなど、実車はかなり売れたにも関わらず、程度のいいものの現存数は少ない。理由は当時、ボロボロになるまで読み込み過ぎためだったりするので、恐るべし当時のクルマ好きである。 スーパーカーブームが起これば子どもたちは全員狂ったようにカードを集め、スーパーカーショーにピッカリコニカを持って押し寄せただけでなく、走っているスーパーカーを見つけては信号待ちなどで群がり、写真を撮らせてくれと取り囲むほど。
旧車とチューニングはポピュラーではなかった
レースも老若男女問わず、サーキットに詰めかけて、社会現象&社会問題にもなったりした。今ではクルマ趣味のひとつと言っていいが、社会的に関心が高かった証拠として、大きなレースとなると各メーカーが「いよいよ今日決戦」的な新聞広告をこぞって出したというのはあるだろう。もちろん市販車を売るためで、実際ハコスカはレースの活躍もあって、月販2万台も売れていただけに、メーカーとしても力が入って当然だ。最近盛り上がっては来ているラリーにしても現在の比ではなく、過酷すぎるとして有名だったアルペンラリーなどに各自動車メーカーがワークス体制で参戦したのもいい例だろう。 当時ポピュラーでなかったのは旧車とチューニングで、旧車は当時からすると趣味の対象でなかったし、そもそも対象となる車種が存在しなかった。またチューニングは今みたいにパーツが無かったし、大切なクルマを切り刻むのは忍びない。一部やっていたのは、ヤンチャな層で、今のようにマフラーやホイールぐらいは変えてみようかなというのはなかった。響き的にはチューニングというよりも改造で、やったとしても違法改造でキップを切られるのが当たり前だったので、その点でも普通の人はさすがに手を出すことはできなかった。 そういった流れから次第に細分化してくるのは、昭和の末期、1980年代半ばになるとハイソカーや峠の走り屋などが登場して細分化されるようになってきて現在に至る。好景気によって価値観が多様化したのと、ベースとなる車種が増えてきたというのが背景にあるだろう。