「アイツのは中古だ」「安いモデルだ」スーパーカー社会のヒエラルキーは存在するのかフェラーリオーナーに聞いた
この記事をまとめると
■スーパーカー乗り同士ではお互いのクルマをどう評価するのかを考察■フェラーリの場合、中古で手に入れるケースが多いので気にする人は少ない■新車のスーパーカーを買うことをステータスとしている層も若干いるという
スーパーカー乗り同士でも格差ってある?
「あいつのって安いモデルじゃん」「あれは中古だな(笑)」…… 。 お金に余裕はあっても、スーパーカー乗り同士はやっぱりココロの余裕はないのか? 編集部から質問が届いた。「スーパーカーオーナーはだいたいお金持ちだと思いますが、お金持ち同士の間でも、やっぱりジェラシーとか差別はあるんでしょうか」というものだ。 編集部「例えばGT-Rばかりの場所にタイプMで行くとヘンな目で見られたり、タイプRばかりのところにSiRで行くと負い目を感じたりするので、そんなことはスーパーカー界隈にもあるのかなと思いまして」。 それはまぁ、あると言えばあるが、タイトルにあるような「あれは中古だな(笑)」というのは聞いたことがない。フェラーリは中古になっても値段はまず下がらないし、発表からしばらくは新車より高く売られるのが普通。「中古」と見下す習慣はないし、中古がアタリマエだ。むしろ古ければ古いほどエラかったりもする。なにしろこの世で一番値段が高いフェラーリは、1960年代の250GTOなのだから。 私はコロナ前まで、毎年、200台ほどのフェラーリが集まるミーティングを開催していたが、主催者の性格上(つまり庶民派)、集まるのはほとんどすべて中古フェラーリで、中古同士の間にジェラシーや差別はなかった。F40などのスペチアーレで参加すれば、ひたすら尊敬され羨望の視線が集まるが、456GTのような相場が安くて不人気のモデルでも、それはそれで逆に珍しがられて注目が集まるし、故障が猛烈に多いという定説によって「すげえ!」「勇者だ!」と尊敬されたりもする。 F355や360モデナが最大の多数派だったが、多数派=定番人気モデル。多数派だから「ありふれてるなぁ」と差別されることもない。「フェラーリであればすべて善し」なのだ。
新車で買うことに意味がある! という層もいる
ただ、伝え聞くところによると、最新のフェラーリだけに興味のあるフェラーリオーナーも一定数存在する。彼らは自分を飾る道具としてフェラーリを見ているケースもあり、とにかく最新モデルでないと「負け」になったりする。彼らの集まりでは、ひとつ旧型に乗って参加すると、「なんで買い換えないの?」と言われてしまうという。 上へ上へと上昇志向のカタマリで人生を走ってきた成功者にとっては、最新のフェラーリに乗り続けることがライフスタイルだったりする。彼らは最新のフェラーリ以外には興味がなく、正規ディーラーから「〇〇様、次の限定モデルの枠が取れました。いかがでしょう?」と提案されることを至上の喜びとしている場合も多い。 スーパーカーを手に入れるためにがむしゃらに働いて成功した生粋のクルマ好きにとっても、スーパーカーの新車の魔力は強烈で、「旧型のほうが楽しかったなぁ」「ターボはおもしろくないなぁ」と思ったとしても、最新モデルや限定モデル(=男の勲章)の呪縛から逃れられなくなるという。そして、仲間が旧型に乗ったままだと、条件反射的に「お金に困ってるのかな?」と考えてしまう。 そんな彼らから見ると、クラシックまで行かない中途半端(?)な中古フェラーリのオーナーは、自分とはまったく別の人種なので、差別ではなく区別して考えることになる。自分とは無関係な人たちなのである。確かにスーパーカーは、男の買い物として頂点クラスの快楽がある。 スーパーカーを買い続けていると、買うこと自体が目的になってくる。買った瞬間に醒めてしまうので、すぐに売ってしまう人も多い。スーパーカーはいろいろな意味で麻薬なのだ。