確かに最近「影が薄かった」けど「シーマ」も消えるのか……「現象」まで巻き起こした高級車は何モノだったのか?
この記事をまとめると
■日産のフラッグシップ「シーマ」の歴史を振り返る■シーマが生産終了という噂が流れている■今後の需要を考えると、現行モデルが最後のシーマになる可能性が高い
社会現象にまでなった日本が誇る名車が消滅の危機!
日産セダンのフラッグシップとして知られる「シーマ」に生産終了の噂が流れている。現行モデルは数えて5代目になるが、過去にも4代目終了から5代目デビューまでの間に2年弱のラグがあったので、シーマが消えてしまったことはあったのだが、セダン市場のシュリンク具合を考えると、今回の生産終了は復活が期待できない、本当の最後になってしまう可能性が高い。 そんなシーマが誕生したのは1988年1月、当時の日産セダン・シリーズにおける高級モデルだった「セドリック/グロリア」の上級バージョンとして登場した。CIMAというのはスペイン語で「頂点」を意味する言葉で、ショーファードリブン専用車の「プレジデント」とは異なる路線の、オーナーカーとして頂点に位置づけられる新しいラインアップとして登場した。 セドリック/グロリアが当時のスタンダードである5ナンバー枠いっぱいのボディサイズだったのに対して、シーマは全幅1770mmと3ナンバー専用ボディが与えられており、完全に別モデルという風にユーザーは認識していた。ただし、正式な車名はセドリック・シーマ、グロリア・シーマであり、またホイールベースも同様で、フロント・ストラット、リヤ・セミトレのサスペンションもセドリック/グロリアと共通の設計となっていた。そのため、車両型式も「Y31」というセドリック/グロリアと同系統となっている。 3ナンバー専用ボディに加えて、エンジンが3リッターV6DOHCターボのみとなっていたのもプレステージ性の高さにつながった。おりしも、自動車税制の改正により3ナンバーの税負担が大きく軽減されたこともあり、『シーマ現象』と呼ばれるほどのスマッシュヒットとなったのも初代モデルを記憶に残すところだ。 それだけ話題となった初代シーマだが、最初のフルモデルチェンジは思いのほか早く1991年8月。このときセドリック/グロリアにサブネームをつけたシーマから、独立した車名のシーマになった。エンジンは4.1リッターV8となっている。 サスペンションがフロント・ストラット、リヤ・マルチリンクとなっていることからわかるようにプラットフォームも大きく進化している。 サスペンションの進化によって、初代シーマの特徴であったリヤを沈み込ませながら加速していく様は見られなくなったが、油圧式アクティブサスペンションを採用したことからもわかるように、ハンドリングと快適性を高次元でレベルアップさせたシャシーとなっていた。
日産の最高峰として究極まで極められた
1992年9月にはスカイラインGT-Rなどで知られるトルクスプリット4WDシステム「アテーサE-TS」を搭載した4WDグレードを追加。1993年9月のマイナーチェンジにおいて、3リッターV6のDOHCターボエンジンを復活させるなどラインアップを充実させていった。 1996年6月にフルモデルチェンジして誕生した3代目シーマでは、従来モデルのラインアップを受け継ぎ、4.1リッターV8エンジンと3リッターV6ターボのラインアップとなった。V8エンジンと比べてしまうためV6ターボのほうには廉価版といったイメージが付いていったのは否めないが、じつはV6ターボは従来のVG型からVQ型に変わっている。 このフルモデルチェンジではSRSサイドエアバッグを全車標準装備にしたのもトピックスのひとつで、オーナーカーのフラッグシップとして確実に進化していった。 ただし、スタイリングのイメージは従来のシーマとは方向性が異なるもので、日産ファンの間からは「初代レパードを思わせる」という声も上がっていたと記憶している。つまり、スポーティセダン的なテイストも有していたというわけだ。 とはいえ、バブル経済の崩壊から5年以上を経てユーザーの嗜好も変わっていた。初代モデルが巻き起こした「シーマ現象」のようにオーナーカーとして売れたというよりは、トヨタ・クラウンマジェスタのライバルとしてショーファードリブンに活用されるケースが多くなった印象もある。具体的にはカンパニーカーのヒエラルキーにおける下位モデルとしてシーマは位置づけられていった。 また、この世代においては後席サイドエアバッグ、ミリ波レーダーを使った車間自動制御システム(現在でいうACCのような機能)などが設定され、日産のテクノロジーショーケース的な役割を果たしたことも印象深い。 そんなシーマがゼロベースで生まれ変わったといえるのが、2001年1月にフルモデルチェンジした4代目だ。プラットフォームは一新され、上級グレードのエンジンも4.5リッターV8エンジンになった。こちらの型式は「VK45DD」型で、アルファベットからもわかるようにガソリン直噴仕様となっていた。ただし、後期型ではVK45DEというポート噴射仕様に変わっている。 V8エンジン車については、7つのライトを組み合わせた「バルカンヘッド」によって差別化したが、そのインパクトのあるヘッドライトは後にカスタム系での流用チューンで人気になるなど、ドレスアップのトレンドを作ったことでも記憶に残る。 なお、この世代のシーマは、日産のショーファードリブン専用車である「プレジデント」とホイールベースやボディ外板が共通で、フロントグリルやバンパーが異なるだけの兄弟モデルとなっていた。つまり、ハードウェアとしてはシーマ史上最上級の仕上がりだったといえる。 そんな4代目シーマは、2010年8月にいったん生産終了となり、シーマの歴史にピリオドを打った。同時にプレジデントもディスコンとするなど、日産はセダンのラインアップを整理したのが、この時期だった。 シーマ、プレジデントといったショーファードリブンモデルがなくなったのはビジネスとして成立しえない市場規模になっていたという背景もあるが、だからといって日産のショーファードリブンを求める声がゼロになったわけではなかった。そうした声に応えるカタチでシーマが復活したのが2012年4月だ。 しかしながら、過去のモデルとは異なり、5代目シーマは日産の高級サルーン「フーガ」のロングホイールベース仕様といえるもので、パワートレインも3.5リッターV6エンジンを用いたハイブリッドのみとなっていた。 ちなみに、フーガのロングホイールベース仕様は5代目シーマのために作られたわけではなく、そもそもはロングホイールベース仕様へのニーズが大きい中国市場向けのインフィニティM35hLがベース。当然ながら一般向けというよりはハイヤーなどフリート向けモデルといった位置付けで、ショーファードリブンの主流がLLサイズのミニバンへシフトしていく中で、徐々に需要が減っていったのも事実。 ここ数年は、シーマというモデルが役目を終えたと感じることも多かった。生産終了という話になっても惜しむ声がそれほど上がらないのは、そういうことだろう。