おぉ30°バンクですか。
年寄りの茶飲み話になりそうですが、
>皆様のスカイラインに対する思い出や熱い想いがあればお聞かせいただけると幸いです。
・・・っということなので、多少はいいということで。
ワタシの運転の最初の師匠が元日産大森(現NISMO)でSR311を運転していたレーサーで(クニさん=高橋国光の後輩に当るヒトで、当時のレースリザルトに名前がヒンパンに出ています)、30°バンクとその後のS字の走り方を、詳しく教わりました。(ワタシが運転を始めた頃、もう30°バンクは閉鎖されていたんですけどね。)
1.と2.について
速くても200㎞/h以下と思われます。
ソースは特にありませんが、空力的ダウンフォースがかけられる日本GP第三回以降のメインクラス(R381とかトヨタ7とか。FIAでなく、ほぼCAN-AMのレギュレーションに準じた文字通りのモンスターマシン)でも『加速しても250㎞/h程度』だったそうです。『タダの乗用車』の上に雨なので、速度はずっと低いでしょう。(30°バンクはモーレツな下りで、クルマが出口に向けて加速してしまうので、次のS字の侵入が難しくなります。ここの侵入が『クニさんだけラインが違った』とかで、クニさんの侵入ラインも教わりました。)
ただ雨は、『バンク上は水溜まりが出来ず、グリップレベルは他のコーナーほどは変わらない』とも。まぁ水溜まりは出来なくても、そもそもバンクの舗装方法に問題があって(これも詳しく聞きましたが・・・クルマの話とは関係ないですね)クルマがポンポン跳ねるので、『水溜まりが無くてもかなり怖い』とは言ってましたが。
ちなみに。
PGC10は、ノーマルでも公称最高速度は200㎞/hです。
更にレースチューンのS20では当初220馬力、最終型では260馬力を超えます。トップスピード自体は、250㎞/hぐらいは出たと思われます。
3.について
そんなに離れている様には見えませんが。12:35辺りですよね?せいぜい20mぐらいでしょう。
スターティングリッドは結構なウェットの様だし、スタートの出来でこのくらいの差は付くでしょう。
4.について
S20はスゴいエンジンだったのは間違いありませんが、50連勝出来たのは、日産の開発の成果です。
上述した様に最初は220馬力程度でしたが、50勝目のエンジンは、2リッターのまま264馬力に達していたそうな。
リッター132馬力はバイク並みのチューンで、バイクならトルクが不要なのでリッター120馬力超はザラですが(原チャリでも、このくらいは出ています)、クルマでこの馬力、しかもレースのディスタンスに耐えるエンジンとは、相当なチューニング技術です。
このエンジンを支えたのが、日産追浜の動力研究室(中央研究所)です。
吸収合併した時点でプリンスがS20を計画していなかったら、日産が同類のエンジンを作ったかどうか判りませんが(多分作らなかったでしょう)、しかしL20の凄まじいチューニング適合性も、S20同様今では伝説級です。(実際のレースでも、北米での240Zの成功を見れば明らかです。)
せいぜい10000rpm程度の回転数なら、DOHCでなくても実現出来ます。DOHCはあくまでもエンジンの構造であって、ターボの様に『装着したら必ず馬力がアップする』装置ではありません。
尚・・・ちょっと余談ですが。
50勝目を上げる何戦も前からロータリーの方が速く、いつ負けてもおかしくない状況だったそうな(クニさん談)。S20は、ずっと以前に戦闘力を失いつつあり、クニさんは『コーナーでは絶対に負けない様に頑張った』そうです。BMWのパクリから始まったリヤのセミトレが、当時のタイヤによく合っていたということもあったと思いますが、『いやマツダはコーナーも速かったよ』とか。
S20は確かに、登場した当時は高性能エンジンでした。4輪独立懸架も、他にはいすゞ自動車しか持っていませんでした。PGC10はそれらが有効に働いた名車だということは確かですが、しかし50連勝は、クルマを常に高い戦闘力に維持し続けたチューニング技術、『絶対負けない』というドライバー、そしてチームを効率よく運営したマネージメントの、どれか一つが欠けても実現出来なかったでしょう。
決して、S20やPGC10が飛びぬけて優れていたから50勝出来たワケではありませんよ。
5.について
スカイランって、何がスゴイと思います?
ワタシ、元・レーシングカーデザイナーなのですが、スカイラインを『高性能スポーツカー』として見ると・・・エンジンと駆動系以外、工学的には単なる量産乗用車です。(例えばこれがロータスやフェラーリだと、逆に『乗用車らしさ』が希薄で、あらゆる設計が『スポーツカー』です。)
少しイジワルな言い方をすると、スカイラインは『フツーの乗用車をメーカーが魔改造したクルマ』に過ぎません。ランエボとかインプレッサと同類であり、ハードでリアルなスポーツカーの要素は、エンジンだけです。
しかしスカイラインとは、プリンス時代から常にそういうクルマでした。
『羊の皮を被った狼』とは、元々は英国フォード社の『ロータス・コーティナ』に付けられた称号ですが、スカイラインもそういうクルマでなければならい、と(個人的には)思います。
峠を走ればガチのスポーツカーと遜色ないほど面白く、サーキットを走ればスーパーカーにも引けを取らない速さ、しかしその実態は家族4人が旅行に行けるファミリーセダン・・・それがスカイラインだったはずです。
>いつのころからか大型化してマークⅡのような車になってしまってからは興味がなくなってしまったのですが、
・・・まぁ大型化という面だけで言うと、R32はR31と変わらんほど巨大ですが。
歴代スカイラインが狙っていた市場は、ブルーバードやコロナ等からのステップアップの乗り換え需要も見込める上級ファミリーセダンであり、また関西に多い小型タクシー需要でした。
両方の需要で最大のライバルはマークⅡであり、マークⅡ路線に寄せて来たのは『商売として当然』の結果です。
スカイラインというとGT-Rばかりが注目されますが、実際にスカイラインが相手をしていたのはGT-Rが属する高性能車の市場ではない、ということです。
R32が出た頃、ワタシはレース屋を辞めて某自動車メーカーの研究所で操縦安定性の研究をやってました。
当時、比較検討車として早速GT-RとGT-S(NAのFR仕様)を購入し、テストコースで走らせたら・・・そのハンドリングに(特にGT-Sのハンドリングに)、『日本人にポルシェが不要となる日が来るかもしれない』と感銘を受けたのを覚えています。(当時の日本のメーカーはどこも、スポーツカーのハンドリングとしてポルシェ944を目標の一つとしていました。)
しかしR31からの『セダンとしての』機能低下は如何ともしがたく、『スカイラインが迷走し始めた』とも思いました。(当初感じたのは、『このキャラクターはシルビアだ』でした。R系スカイラインが現行のV系に拡大したことを考えると、シルビアがスカイラインのサイズまで拡大することは、十分あり得ます。実際同クラスのセダン、ブルーバードは、6気筒を搭載したマキシマが既にあったし。)
名門とか伝統とか、そういうモノが付いて回る日本車は、スカイラインとフェアレディZぐらいです。(フェラーリやポルシェほどでは無いにしても、それらと同類のモノです。)
一介の研究者である自分が心配したところでどうにもなりませんが(しかし日産、大森(NISMO)、オーテック、それに生前の桜井さんにも、仕事上で多少はお世話になりました)、スカイラインが電制満載のロボットカーとなり(今やハンドルさえ、ステア・バイ・ワイヤです。R34までは、あんなにハンドル手応え感に拘っていたのに)、BMWやメルセデス、それにレクサスの市場で負け続け、やがて静かにフェイドアウトするのかと思うと、悲しいキモチになります・・・。