昭和の時代は、クラウンが友達の家に行くとだいたいガレージとかに置いてあった感じがありました。
1955年のモーターショーでクラウンがデビューし、「へえ、戦後の日本でもこんな日本の道路サイズに合った、アメリカ車を小型化したような小車れた車が造れるように変わったんだ」 とみんなが驚いた。
戦後モーターショーは、建設重機とか、トラックのような事業用の車ばかりで、「あれを買えば金儲けできるんだ」 みたいなものばかりだったのに、そこに乗用車でデビューし、技術提携していないトヨペットのオリジナル車という感じでした。
「いつかはクラウンに」 というキャッチフレーズで、お父さんが運転し、お母さんと子供2人を乗せて4人で日曜日とかに遊園地とかに遊びに行く。
例えるならば、結婚して子供ができて、何か一人前になって家庭を築けた人の証みたいな感じでしょうか。
戦前とかに幼稚園生の頃にはもう送り迎えの専用車で幼稚園に行くふりをして、いつも公園で運転手と遊んで、家に「今日も幼稚園楽しかった」 とうその報告をしていたという従兄は、1年ちょっと前に亡くなりましたが、葬儀会場に彼の愛車が駐車してあり、220クラウンハイブリッドのレザーパッケージの700万円くらいの車でした。
お父さんが運転し、家族を乗せて走る。 クラウンマークがフロントエンブレムにあって、普通のトヨタ車はTマークなのに、クラウンだけは別格になっていたりする。
従兄は86歳で亡くなったのですが、いつも愛車のハンドルを握って買い物とか病院に出かけたりして、家族を乗せたりしていました。
送り迎えの車に乗るという人にとっても、「いつかはクラウンに乗って、自分の家族を乗せて運転して走る」 というのに憧れとかあるみたいな感じ。
カムリとは北米で売れるので大型化しています。
どうしても、北米で売れる車というのは、残価設定ローンで、アメリカでは貧乏人に1ランク上の車に乗らせるという市場ですので、車全般中古車まで高値で安定していますので、自動車メーカーにとってはぼろ儲けできる市場だからです。
クラウンだと昔から香港でタクシーとかに使われるとかの丈夫さはありますが、世界的に売る車でもなかったりします。
パトカーにも採用されているので、住宅街の狭い道路でも追いかけていくので、車幅1,800MMサイズなので、マイカーとして乗っても都市部の人だと小回り効いて乗りやすいとかあります。
警察24時とかのテレビ番組でも、警察が指名手配犯をみつけた時に、「あいつはクラウンに乗っていて、パトカーに体当たりして逃げる」 とか言ったりしていますように、逃走犯とかに根強い人気がクラウンにはあります。
クラウンって、お金持ちの乗る高級車と少し違っていて、幸せそうな人が乗るようなイメージなので、まあ旗艦車となるのかと思います。
ざっくり言えば、日本の中ではメーカーが売りたいとかあるので、丈夫に造るとか、ドイツ車とかがボディ剛性高めるのにドアを分厚くしているとかのサイドシルが分厚いとかを真似せずに、乗り降りしやすいように薄くしてあるとかあります。
車に特に興味ない人とかから見れば、旗艦車を狙った方が得するので、今で言えばプリウスを買う人が多いような感じだと思います。
ただ、旗艦車って、要は売れていたりしてどこかのショッピングセンターに行けばプリウスとか何台も周りに駐車してあるとかあるので、個性が乏しくなる感じがある。
たぶんそれで「俺は人が買わないカムリに乗っているんだぞ」 となり、カスタイズされる人がいるのではないでしょうか。